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――老いる前に老いを考える、或いは老いつつ老いを考える――
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T 老い、それもまた楽し
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はじめに・主題提起――老いの狂歌をめぐって――
しは(皺)がよるほくろが出来る背がかがむ
頭はは(禿)げる毛はしろ(白)くなる
手はふるふ足はひよろつく歯はぬける
耳は聞えず目はうとくなる
身にあふは頭巾ゑりまき杖めがね
たんぽ温石しびん(尿瓶)まご(孫)の手
くどくなる気みじかになるぐち(愚痴)になる
思い付事みなふるくなる
聞きたがる死ともながる淋しがる
出しやばりたがる世話やきたがる
又しても同じ話に孫ほめる
達者じまん(自慢)に人をあなどる
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(横井也有(1702-83)70歳の時の作:尾張藩士で俳文集『鶉衣の著者』)
※この狂歌は「咏老狂歌」として松浦静山『甲子夜話』に記録され、他に幕臣宮崎成身『視聴草』、
編者未詳『続淡海』にも記録されており、18世紀後半から19世紀にかけて「老い」をテーマにした狂歌としてかなり知られていたと思われる。
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1近代からの視線で捉えられた「老い」
・老いに怯える現代人
キュープラ・ロス『死ぬ瞬間の対話』での問題提起。
近代社会:子供と老人を排除してアダルト中心のシステム
・「教材」の中の老人
中野新之祐「教科書にみる『老人』の社会史 『老いと「生い」』 藤原書店1992
1904年(明治37年)から1945(昭和20)年までの小学校の国定教科書で老いや老人がどう語れているかを分析
@老いは心身共に衰えることとして否定的評価
A歳をとっても衰えない活躍する老人への期待
B近代化に取り残された者としての老人
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2前近代における老いへの眼差し
・神に近い存在としての老人と子供
「オキナの思想」 山折哲雄 (『老いの比較家族史』1990年 三省堂)
老いは極楽への入り口:人生の階段 「熊野観心十界曼茶羅」
・老人の知恵
河合隼雄の指摘。
・「老い」は「追い」:追加としての老い
宮田登の説:「オイサカ」「オイセン」「オイゲサマ」「オイネサマ」
・老人と子供のポルカ
黒田日出男 老人と子供との相互関係の図像
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3江戸老人事情
・平均寿命
・いつからが老いか
『礼記』
50歳:「艾」(髪がよもぎ色 蒼白色に変わることを意味する)
60歳:「耆」、 70歳:「老」、 80・90歳:「耄」
古代養老令
61歳以上を「老」/66歳以上は「耆」 「耆」は16歳以下の「小」と共に課役の対象から外されていた。
中世の惣村
15歳以上60歳以下のおとな(男)が主に共同体をにない、
61歳以上の「翁」と 15歳以下の「童」は一人前とはみなされたなかった。
近世
村落共同体では中世以来の15歳と60歳の区切りが受け継がれている。
しかし幕府法や諸藩の法での法令に現れてた老年期の区分は様々。
駕籠などの許可50歳
隠居:幕府70歳以上 諸藩60歳以上
・老いを意識する年齢
狩野?斎(1775-1835)、頼山陽(1780-1832)、北条霞亭(1780-1823)
・老人褒賞制度
「養老礼」 例:弘前藩
・憧れの楽隠居
「人は十三歳まではわきまへなく、それより二十四、五歳までは親のさしずをうけ、
その後は我れと世をかせぎ、四十五までに一生の家をかため、遊楽することに極まれり」
「若き時、心をくだき身を働き、老いの楽しみを早く知るべし」(井原西鶴『日本永代蔵』巻四1688)
隠居は余生(余った人生)ではなく、第二の人生。
老いを惨めと感じるか否かは、生理的に老いることそれ自体にあるのではなく、
老いた人への社会の認知・処遇との関係性に大きく依存している。
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4老いの情景――江戸の老人はいかに老いを生きたか――
・老人は郊外をめざす
十方庵敬順 『遊歴雑記』(平凡社東洋文庫)
「隠居の身の日夜まいまいと家を出兼ね、家族は邪魔にし鬱陶しく思ふもしらで、
いらざる事に悪世話焼きて身を立枯れにする人世上に又少なからず」
村尾正靖 『江戸近郊道しるべ』(平凡社東洋文庫)
徳川三卿の一つ清水家に仕えた武士。嘉陵と号した。天保12年82歳で没。
48歳の時に下総国府台と真間の古跡を訪ねた紀行から75歳で再び同地に遊んだ記まで、
約40編の遊覧記を収めた書物、別名『嘉陵紀行』。配布資料:「井の頭記行」
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U 楽しい老いの為に
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貝原益軒『養生訓』の知恵
1益軒の生涯(1630ー1714)
寛永7年 福岡貝原孫太夫利貞(寛斎)の五男として生まれる。
2歳:父が浪人となり、城内から出て博多の陋屋に移る。
5歳:母を亡くす。兄弟とともに「地行婆」という家政婦によって育てられる。
6歳頃:教わりもしないで仮名を覚え、算数にもたける。
8歳頃:近所の知人から『平家物語』『太平記』などを借りて読む。
13歳:四書(大学・論語・孟子・中庸)に親しむ。八歳年長の兄存斎が教師役。
18歳(慶安元):出仕して黒田忠之に仕える。
19歳(慶安2):免職されて7年の浪人生活。
25歳(明暦元):長崎に遊ぶ。医者となる決心をし、江戸に行く。柔斎と称した。
26歳(明暦2):藩主黒田光之に仕える。
27歳(明暦3):京都に遊学。山崎闇斎・木下順庵・松永尺五らを訪ねる。開塾。
『大学』『小学』『論語』『近思録』を講義。学者としての評価が定まる
34歳(寛文4):藩命で福岡にもどり、藩士のために『大学』を、幼君のために『小学』を講義。知行、150石。
41歳(寛文11)黒田家譜の作成を命じられる。17年を要して完成。
旅行好き:江戸行12回 京都24回遊ぶ。
70歳(元禄13)辞職し家督を養子の重春(兄存斎の二男)にゆずる。
益軒第二の人生「これより遠く遊ばず、もっぱら著述を事とす」(『益軒先生年譜』)/人生収穫の季節
71歳『近世武家編年略』『宗像郡風土記』『贐行訓語』
72歳『音楽紀聞』『扶桑記勝』
73歳『黒田忠之公譜』『点例』『和歌紀聞』『五倫訓』『君子訓』
74歳『宗像三社縁起』『菜譜』
75歳『古詩断句』『鄙事記』
76歳『和歌古諺』
78歳『大和俗訓』
79歳『大和本草』『岐蘇略記』『篤信一世用財記』
80歳『楽訓』『和俗童子訓』
81歳『岡湊神社縁起』『有馬名所記』『五常訓』『家道訓』
82歳『心画規範』『自娯集』
83歳『養生訓』『諸州巡覧記』『日光名勝記』、東軒夫人12月26日死去
84歳(正徳4)『慎思録』『大疑録』、8月27日死去
『大疑録』(朱子学への大いなる疑問の書)を書き上げて2ヶ月して世を去る。
2『楽訓』『養生訓』の教え
@なぜ養生しなければならないか。
我が身は「私の物にあらず、天地のみなたまもの、父母の残せる身」
「身を慎み、生を養ふは、是人間第一のおもくすべきこと」
A養生の道は身を損なうものを去るにある。「内慾」と「外邪」
「内慾」:飲食の慾、好色の慾、言語をほしいままにする慾、睡の慾、喜怒憂思悲恐驚の七情の慾
「外邪」:天の四気:風寒暑湿
養生の道は内慾を節制するが根本
B生まれつきたる天年は多くは長く、天年短きに生まれついた人は稀
「人の命は我にあり、天にあらず」(老子)
C養生の術は先ず「心気を養ふべし」「
「心を和かにし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ思ひをすくなくし、
心をくるしめず、気をそこなはず」
肉体の健康というだけはなく、心のありよう、精神の健康に気遣う。
D「心」の平和
「心は楽むべし、苦むべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず」
「心を静にしてさわがしくせず、ゆるやかにして迫らず、気を和かにしてあらくせず、
言をすくなくして声を高くせず、高くわらはづ、つねに心をよろこばしめて、
みだりにいからず、悲をすくなくし、かへらざる事を悔まず、過あらば一たびは我身をせめて、
二度悔まず、只天命をやすんじてうれへず、是心気をやしなふ道なり」
E「楽」の賛歌 / 『楽訓』
「楽は是人のうまれつきたる天地の生理なり。楽まずして天地の道理にそむくべからず。
つねに道を以て欲を制して、楽を失ふべからず。楽を失はざるは養生の本なり」
小人の楽しみ:「欲にしたがうことを楽しむ」
君子の楽しみ:「道にしたがうことを楽しむ」
「酒は微酔に飲み、花は半開に見る。此言むべなるかな。酒十分に飲めばやぶらる。
少し飲んで不足なるは、楽みて後のうれひなし。花十分に開けば、盛過ぎて精神なく、
やがて散りやすし。花のいまだ開かざるが盛りなり、と古人いへり」
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最後に
・楽しく老いる知恵
赤瀬川原平 『老人力』(筑摩書房)1998年 流行語になる。
老人力:「物忘れ、繰り言、ため息等従来、ぼけ、ヨイヨイ、耄碌として忌避されてきた現象に潜むとされる未知の力」
三浦朱門(作家・元文化庁長官)『老人よ、花と散れ』(光文社)
門野晴子『いつのまにか私も「婆あ」ー居なおって老いを楽しむ』(講談社)
・老いの復権
老いを惨めと感じるか否かは、生理的に老いることそれ自体にあるのではなく、
老いた人への社会の認知・処遇との関係性に大きく依存している。
若さを競う元気な老いではなく、老い独自の価値の復権を
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参考文献
貝原益軒 『養生訓』 講談社学術文庫 1982年
氏家幹人 『江戸人の老い』 PHP新書 2001年
『殿様と鼠小僧』 中公新書 1991年
宮田登・中村圭子編 『老いと生い』 藤原書店 1992年
利谷信義他編 『老いの比較家族史』 三省堂 1990年
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